久しぶりに大相撲中継をon-timeで観戦した。八百長問題や朝青龍問題でゴタゴタするずっと以前から全然見ていなかった大相撲だけれど、実はその昔、昭和の四横綱時代、千代の富士・北勝海・旭富士・大乃国時代はいまよりもずっと面白くてよく見ていたことがある。相撲=地味というイメージがあるけれど、いまよりももっと個性派が揃っていたように思うのは私だけだろうか?思い当たるだけでも・・・、小錦・霧島・北天佑・寺尾・逆鉾・安芸乃島・大寿山・三杉里・隆三杉などなど。
本題に戻って、久しぶりに大相撲中継を見た感想を。
見ていて何となく「懐かしい」という感覚だけでなく、別の不思議な感覚がよぎった。しばらくはそれが何であるか分からなかったのだが、その感覚というのは「ゆったりした時間の流れ」だったのだろうと思う。
昔よく見ていた頃は、”立ち会いまでの時間がなんでこんなに長いのだろう” ”さっさとやればいいのに”と思ったものだけれど、十数年経ったいま、日々仕事や子育てに追われて過ごす中で忘れかけていたのは「ゆったりした時間の流れを感じる贅沢感」なのだろう。
確かに時間は有限、しかも、かなり早く過ぎていくのを感じずにはいられないのだけれど、ゆったりと時間を過ごすことも大事で、そして大相撲の立ち会いまでの一つ一つの動作や流れはそのゆったりとした時間を長い歴史の中で見事に体現したものなのではないかと思った。そして、勝負の一瞬だけ一気に集中力を高める、そういう静と動の切り替えは、あくせくなりがちな現代社会での生活においても、ゆとりのある贅沢な時間を追求するためにも有用なことなんじゃないかと改めて思った。
だからといって大相撲の一連の不祥事や理事会のあり方を擁護するつもりはないのだけれど、それなりの歴史があり続いてきたものにはそれなりの理由や意義があるように思えた一瞬でした。
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